私にとっては、カール・バルトは、客観的な正当性と妥当性とをもって、すべての自然神学を包括し止揚し克服するという仕方で、世界的に最善最良の神学を構成したカトリックを含めた全神学界におけるただ一人の<思想家>である、と確信をもって言えます、ちょうどカール・マルクスが自然、経済、法、政治、歴史分野におけるそれであるように。しかし、彼は、彼に対して肯定的あるいは否定的な神学者、牧師、キリスト教的著述家たち等々によって、現在に至るまで多大な誤解と誤謬と曲解をされ続けている神学者でもあります。この事情は、彼を人々に誤解させ誤謬させ曲解させ、さらには彼に迷惑をかけ続けることになるだろうと思われます。したがって、私は、バルトの主要著作に即した論述を、さらなる<再推敲>と<再整理>を積み重ねることによって、今後により良い形で残して置きたいと考え、無料のライブドアブログを開設することにしたのですが、さらにもっとより良い方法があることに気がついたのです。すなわち、「ウィキペディア」への投稿です。先ず以ては、次の記事を、「ウィキペディア」へ移行しようと考えています――「ローマ3・22、ガラテヤ2・26等のギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(ピスティス イエスー クリストゥー)の属格の理解の仕方――バルト自身の立場について」、「カール・バルトの主要著作を理解するためのキーワード」、「『カール・バルト――ウィキペディア(Wikipedia)』の執筆者が言うように、バルトは晩年、本当に、内容的な意味で、「近代神学」・「近代主義神学」(神と人間との混淆論、人間学と神学との混合学、自然神学)に「回帰」・逆行・復古・退行したのだろうか?」、「カール・バルトは本当に<新正統主義>神学者か?」、「成熟の書としての『福音と律法』および『神の恵みの選び』」、「<自然神学>あるいは<自然的な信仰・神学・教会の宣教>とは何か?」、「『平和に関するバルトの書簡』(寺園喜基の私訳)をめぐって」、「カール・バルトの生涯」、「カール・バルト<言説集>」です。今後は、『教会教義学』関係についても<再推敲>と<再整理>を積み重ねて、「ウィキペディア」へ投稿して行きたいと考えています。ほんとうに短い期間でしたがありがとうございました。
 なお、ライブドア側に同じ記事が残っているとウィキペディアの方に移行させた記事が削除方針の対象となるかもしれませんので、今までの記事は削除させていただきますので、よろしくお願いしたいと思います。
2020年4月4日