カール・バルト研究――その総体像へ向かって

客観的に評価するならば、人類史の西欧近代の段階における西欧的な危機を自覚していたであろうカール・バルトは、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の宣教にとって、その一つの機能としての神学にとって、最善で最良の神学を構成した唯一の神学者であると言える。しかし、このバルトは、彼に肯定的あるいは否定的な神学者および牧師ならびにキリスト教的著述家たちによって、現在に至るまで多大な誤解と曲解に晒されている神学者でもある。その理由は、彼らが、バルトの諸著作をその著作に即しその総体性において読み理解し論じるのではなく、その一面・部分だけを全体化して読み理解し論じている点にある。例えば、卑近な例で言えば、ウィキペディア「カール・バルト」がその典型である(私は、その「ノート」の項目で、その論述内容にある誤解と曲解をバルトの著作に即して証明し、執筆者にその記事の検証と修正を切望した)。ファングマイヤー『神学者カール・バルト 「シュライエルマッハーとわたし」』加藤常昭・蘇光正訳、日本基督教団出版局の「訳者あとがき」における翻訳者・蘇の思惟と語りを、バルト主義者でも反バルト主義者でもないバルト者の私は全面的に首肯する者である(「ノート」の項目を参照されたし)。このような訳で、その総体性におけるバルトを、換言すれば現存する私のホームページで、今までも論じてきたし、またこれからも生命ある限りは論じるであろうバルトの諸著作に即した論述を、私は、少しずつでもさらなる再<推敲>と再<整理>を積み重ねることによって、今後により良い形で(出来得る限り簡潔明瞭なより良い形で)残して置きたいと考え、年毎の手続きが全く不要な無料のこのライブドアブログを開設することにした。 豊田忠義

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